将棋駒生産量日本一を誇る「天童市」と「将棋文化」を世界へ発信するため、天童商工会議所と
天童で将棋駒づくりが始まったのは、将棋が庶民に定着した江戸後期。当時、天童織田藩の財政は大変な窮乏に苦しんでいました。そこで、織田藩の家臣であった吉田大八はかつて米沢藩から技を学んだ駒づくりで財政を立て直そうと、藩士たちに奨励。幕末には、天童伝統の草書体による書き駒の基礎が築かれたといいます。
天童の将棋駒は、160年に及ぶその歴史の中で、生産規模をただ拡大させただけでなく、地域全体の発展そのものとなってきました。現在、市では「子ども将棋大会」や「全国中学生選抜将棋選手権大会」などを毎年開催し、将棋文化を次世代に普及させています。また、桜まつりの時期に舞鶴山で開催する「人間将棋」では、「将棋駒のまち天童」を県内外に広く発信。毎年、多くの観光客が天童を訪れ、その歴史文化に触れています。
駒の生産量日本一を誇る「将棋の町」、山形県天童市。日本製の木製将棋駒の生産量約90%以上を占めています。市内の橋には「王将橋」など駒の名前が付くなど、歩道のタイルが詰め将棋になっている場所も。